これが世の中だ!
私が見ていた世界は、みんなが平気な顔して日常を楽しんでいるように見えた。
だからみな、すごいな、と思っていた。
適応できていて、すごいと思った。
自分の楽しみ、喜びがあって当然のように生活している。
そう見えていた。
そんな人たちを横目に、なぜ自分はみなと同じようにできないのだろうと疑問に思っていた。
そしてできないことを責めた。
責めたところで何も改善しないけど、責めた。ぐったりするまで、うんざりしていることに気が付かないくらいに攻め続けた。
案の定、元気なんてなくなったし、生気がない感じがデフォルトな生活を送っていた。
そして、大切なあれやこれやを無抵抗なまま手放していった、というか、大切なあれやこれやに見放された?捨てられた?そう表現したほうがしっくりくるような喪失体験に見舞われた。
どんまいすぎる、わたし。
ところがどっこい?
そんなこんなで、今では一般化しつつある概念、自己肯定感とか自尊心だとかが私の場合、かなり長い時間、地表におらず、マントルレベルまで埋没していた。それがここ1年くらいでひょっこり地表に顔を出し始めた。
はろーわーるど、わしじゃ、わし。
周りを見渡すと
え?本気で言ってる?
私が適応しているように見えていた人たちは、適応していなかったし、楽しそうな人たちもそうでもないっていう現実が目の前に広がった。
えー。
私はいったい何を見て、何をもとに自分を責めてたんだろうか?
そのためにあんなことやこんなことを飲み込まざるを得なかったとか、そういうことなの?
がっくりした。
幻想の中に生きている人がメインストリームなのかも
脳内お花畑な人を軽蔑する人は多く見かける。
不倫している人のことを揶揄してお花畑などと言ったりもするところを考えると、著名な方々などの不倫ニュースであーだこーだいう人たちは私の中では脳内お花畑を軽蔑する人たちって括りになっている。
当人たちにそんなつもりはないかもしれないけど、そういうことをする人が嫌なんだろうなー、軽蔑してるんだろうなーと思っている。1
ファンタジー大好きだとバカにされそうなイメージもある。
しかし、彼らを軽蔑している人たち、バカにしている人たちこそ、幻想の中に生きているのではないだろうか説が私の中に浮上した。
生きづらさ、という単語が目立つようになったのは、ここ最近、10年とかそこらへんの現象だ、と説いているネットニュースの記事をみた。
たしか書籍の一部を配信したものだったと思う。
ということは、昔は生きづらい感覚、生きづらいという概念がなかったってことなのだと思う。
何が変わったのだろうか、と昔と比較したくもなるけど、それ以上にしぶとく残り続けているものは何なのだろうか。
そのギャップが生きづらいという概念を爆誕させたんだろうな。
生きやすさ、生きづらさ、その辺を紐解いていければいいな、と漠然と思う。
なぜなら、生きづらく生きていく必要なんてないからだ。
そう、楽に生きていこうよ。楽にさ。
- 軽蔑することもバカにすることも悪いことっていうより、体力、精神力の消耗が激しそうだから大変だよねって思う。あのよくわからん感情が沸き上がる感じとか制御するのは骨が折れますし。 ↩︎
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